相続税がゼロになった家 ― 配偶者の税額軽減と、それでも申告が必要な理由

生前対策

前回は、「いったん、お母さまがすべて相続する」という形を選んだご家族のお話をしました。そして、この形は二次相続まで考えると、先送りにもなるとお伝えしました。

今回は、その続きです。二次相続まで考えたうえで、それでも奥さまがすべてを取得し、相続税の納付額がゼロになった家のお話です。

私が実際にご相談を受けた事例をもとに、お話しします。個人が特定されないよう、家族構成や時系列などを一部再構成しています。1級ファイナンシャル・プランニング技能士・CFP®の増島正典が、お話しします。


「夫は、きちんと備えてくれていたんです」

「相続のことで、相談したいのですが」。

電話の向こうの声は、張りつめていながら、どこか毅然とした響きがありました。現役で部長を務めていたご主人が、52歳で急に亡くなられたのです。

ご自宅を訪ねると、白を基調とした、落ち着いたリビングでした。壁には、部下の方々との記念写真や、表彰の盾が飾られていました。

「夫は本当に、仕事一筋の人でした。家族との時間は少なかったけれど、きちんと備えてくれていたんです」。

奥さまは、静かにそう話されました。

ご主人が遺したもの

  • ご自宅(土地・建物):相続税評価額 3,800万円
  • 死亡退職金:2,500万円
  • 死亡保険金:4,000万円
  • 死亡時に相続税の課税対象となる個人年金の年金受給権:700万円

相続人は、奥さまと、息子さんのお二人でした。

※本記事では、死亡保険金・死亡退職金ともに奥さまが受け取る設定としています。実際には、契約上の受取人などによって扱いが変わります。
※個人年金については、契約内容や保険料を負担した人、年金を受け取る人などによって課税関係が異なります。本記事では、相続税の課税対象となる年金受給権であることを前提としています。


「相続税を、できるだけ払いたくないんです」

奥さまは、こう切り出されました。

「相続税を、できるだけ払いたくないんです。できれば、私が全部相続してもいいと、息子も言ってくれていて」。

その言葉には、息子さんへの感謝と、申し訳なさの両方がにじんでいました。

私は、図を使いながら、制度を一つずつご説明しました。

配偶者には「税額軽減」があります

亡くなった方の配偶者が相続する場合、配偶者の税額軽減という制度があります。

配偶者が実際に取得した正味の遺産額が、1億6,000万円まで、または法定相続分までであれば、どちらか多いほうの金額まで、配偶者には相続税がかかりません。

奥さまは資料を何度も見返しながら、「そんな仕組みがあるんですね」と、ほっとした表情を浮かべられました。

死亡保険金と死亡退職金には「非課税枠」があります

もうひとつ、ご主人が遺したもののうち、死亡保険金と死亡退職金には、それぞれ非課税枠があります。

相続人が受け取る場合、それぞれ「500万円×法定相続人の数」までは、相続税がかかりません。今回は法定相続人が2人なので、非課税限度額はそれぞれ1,000万円です。生命保険の活用の回でも、お話ししました。


計算してみると、こうなります

分かりやすいように、相続税がかかるかどうかを、順に見ていきます。なお、この事例の説明では、債務や葬式費用、生前贈与などはないものとします。

  • ご自宅:3,800万円
  • 死亡保険金:4,000万円 − 非課税枠1,000万円 = 3,000万円
  • 死亡退職金:2,500万円 − 非課税枠1,000万円 = 1,500万円
  • 個人年金の年金受給権:700万円
  • 相続税の課税価格の合計額(本記事の説明上):約9,000万円

このご家族の相続は、基礎控除がいまより大きかった時期のものでした。当時の基礎控除は「5,000万円+1,000万円×法定相続人の数」で、7,000万円です。いまの基礎控除「3,000万円+600万円×法定相続人の数」で計算すると、4,200万円になります。

どちらで計算しても、今回の約9,000万円は基礎控除を超えています。そのため、相続税の申告が必要となる規模の財産です。

ただし、奥さまがすべてを取得し、配偶者の税額軽減を適用すれば、最終的な納付税額はゼロになります。奥さまが取得する正味の遺産額が、1億6,000万円の範囲に収まるからです。

※実際の税額は、財産の評価や特例の使い方によって変わります。このご家族の申告は、相続を主に扱っている税理士におつなぎしました。


「お母さんが安心して暮らしていけるなら」

その後、息子さんにも同席していただき、三人で話し合う場を持ちました。

息子さんは、こう話されました。

「お母さんが安心して暮らしていけるなら、僕はそれでいいよ。いずれは、僕にも残してくれるだろうし」。

奥さまは、静かに涙をぬぐわれました。

「ありがとう。あなたのお父さんが大切にしてきたこの家を、ちゃんと守っていくわね」。

こうして、ご自宅などの遺産については奥さまが取得し、死亡保険金や死亡退職金についても、契約上の受取人などを確認したうえで、奥さまが受け取る形で、話がまとまりました。


【重要】税額がゼロでも、申告は必要です

ここは、とても大切なところです。

配偶者の税額軽減を受けるためには、相続税の申告書を提出する必要があります。「軽減すればゼロになるから、何もしなくていい」ではありません。税額がゼロでも、申告が必要です。

  • 申告の期限は、亡くなったことを知った日の翌日から10か月以内です
  • 相続税の申告自体は、遺産分割がまとまっていなくても、10か月以内に行う必要があります
  • 一方、配偶者の税額軽減は、原則として申告期限までに遺産分割が成立し、配偶者が実際に取得した財産について適用されます。ただし、一定の手続きをしたうえで、申告期限から3年以内に分割された場合などには、後から適用できる場合があります
  • 配偶者の税額軽減を受けるためには、相続税の申告が必要です。申告せずに放置すると、配偶者の税額軽減を受けられず、納付が必要となる場合があります

このご家族の申告は、相続を主に扱っている税理士におつなぎし、期限内に済ませています。


二次相続も、考えました

前回、「いったん配偶者がすべて相続する」という形には、二次相続で税の負担が重くなることがあるとお伝えしました。

このご家族でも、奥さまと息子さんに、二次相続のお話をしました。奥さまが亡くなったときには、相続人は息子さん一人になり、配偶者の税額軽減も使えません。

そのうえで、このご家族が考えたのは、次のことでした。

  • ご主人は52歳で亡くなり、奥さまには、これから長い暮らしがあります
  • 相続した財産は、奥さまの生活を支えるお金として、これから使われていきます
  • そのため、生活費などによる財産の減少を考慮すると、二次相続時の財産額が、基礎控除(息子さん1人なら3,600万円)以下になる見込みがありました。二次相続では、奥さまがもともとお持ちの財産も含めて考えます

こうした見通しを確かめたうえで、奥さまがすべてを取得する形を選ばれました。ただし実際には、二次相続までの間に財産は増えたり減ったりします。これは、このご家族の事情にもとづく判断です。

二次相続は、必ず不利になるわけではありません

二次相続での負担は、配偶者の年齢、これからの生活費、財産がどう増えたり減ったりするかによって、大きく変わります。

前回のように「先送りになる」こともあれば、今回のように「一次相続で配偶者がすべてを取得するのが合っている」こともあります。大切なのは、一次相続だけで決めずに、二次相続まで見通して決めることです。その試算は、相続を主に扱っている税理士にご相談ください。


「夜も、よく眠れるようになりました」

数週間後、奥さまからお手紙が届きました。

「何より安心しました。あれから、夜もよく眠れるようになって」。

ご主人が備えていたこと、そしてご家族が同じ方向を向けたこと。その二つがそろって、もめることのない相続になりました。


元気なうちに、できること

このご家族の相続が穏やかに進んだのは、ご主人が「きちんと備えていた」からでもあります。元気なうちにできることをまとめます。

  • 財産の一覧を、家族に分かる形で残しておく。自宅、保険、退職金、年金。どこに何があるかが分かれば、残された家族は落ち着いて動けます
  • 生命保険の受取人と金額を、確認しておく。非課税枠は相続人が受け取る場合に使えます。誰が受け取る形になっているかで、税金も家族の暮らしも変わります
  • 配偶者の税額軽減を受けるには、申告が必要なことを、家族で知っておく。期限は10か月です
  • 一次相続だけで決めず、二次相続まで見通す。配偶者の年齢や生活費によって、答えは変わります
  • 家族で、一度話しておく。息子さんの「お母さんが安心して暮らしていけるなら」という一言で、この家の相続はまとまりました

まとめ

  • 配偶者が実際に取得した正味の遺産額が、1億6,000万円または法定相続分のどちらか多い金額まで、配偶者には相続税がかかりません(配偶者の税額軽減)
  • 死亡保険金と死亡退職金には、それぞれ「500万円×法定相続人の数」の非課税枠があります
  • このご家族は、課税価格の合計額が基礎控除を超えていましたが、奥さまがすべてを取得し、配偶者の税額軽減を適用することで、最終的な納付税額がゼロになりました
  • 税額がゼロでも、申告は必要です。申告自体は、遺産分割がまとまっていなくても10か月以内に行います。税額軽減は、原則として期限までに分割が成立した財産が対象です
  • 基礎控除は、いまは「3,000万円+600万円×法定相続人の数」です(平成27年1月から)
  • 二次相続は、必ず不利になるわけではありません。配偶者の年齢や生活費によって変わります。一次相続だけで決めず、二次相続まで見通して決めることが大切です

「きちんと備えてくれていたんです」。奥さまのこの言葉が、残された家族にとって、何よりの支えになりました。備えは、お金だけではなく、家族の安心を残すことなのだと思います。


個別のご相談について(無料・月5件まで)

ご相談では、いまの状況を整理し、「何を・どの順番で・どの専門家に頼めばよいか」を一緒に考えます。ご家族の財産で相続税がかかりそうかどうか、配偶者と子どものどちらがどう相続する形が考えられるかなど、どこから手をつければよいかも、これまで見てきた例をもとに、整理してお伝えします。

なお、遺言書の作成や後見の申立てなど、法律上の個別判断や手続きが必要な場面は、内容に応じて弁護士・司法書士などの専門家へ、相続税の試算や申告は相続を主に扱っている税理士、不動産の売却は宅地建物取引業者へおつなぎします。私自身が、法律や税務の判断をすることはいたしません。

一人で対応しておりますので、ご返信までに2〜3日いただくことがあります。また、じっくりお話をうかがうため、月5件までとさせていただいています。

ご相談はこちら: https://lin.ee/n21qVxJ


増島正典(ますじま まさのり)
1級ファイナンシャル・プランニング技能士/CFP®認定者 / 不動産・相続コンサルタント
不動産業界32年の経験をもとに、相続・老後のお金の不安をわかりやすく解消します。

※本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の法務・税務判断を保証するものではありません。ご紹介した事例は、関係者が特定されないよう、内容を一部変更しています。具体的なご相談は、法律面は弁護士・司法書士、税務は税理士、不動産の売却や価格査定は宅地建物取引業者、不動産鑑定評価が必要な場合は不動産鑑定士など、内容に応じた専門家へご確認ください。

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