ある日の電話が、すべての始まりだった
電話口から聞こえてきた声は、震えていました。
「父が亡くなって1年が経つんです。でも、不動産の名義がまだ父のままで…どうしたらいいのか、もう…」
受話器を握りしめる手に、じんわりと汗がにじみます。相談者の女性は、ため息をつきながら続けました。
「実は、父には前の奥さんがいて。異母兄弟もいるんです。みんなで話し合わなきゃいけないって聞いて、頭が真っ白になって…」
私はメモ帳を開き、ペンを走らせながら、ゆっくりと耳を傾けました。紙に書かれた家系図が、次第に複雑な樹形図になっていくのを見つめながら。
これは、ある家族の「相続」という名の旅の物語です。
第1章:見えてきた「家族の地図」
「まず、相続人が何人いるのか、整理しましょう」
私がそう提案すると、相談者の佐藤さん(仮名)は、重いため息とともに語り始めました。
父には、二度の結婚歴がありました。
最初の結婚で生まれたのは、長男の太郎さんと長女の花子さん。しかし花子さんは5年前、病気で他界していました。残されたのは、夫と小学生の娘。
そして父が再婚した後妻との間に生まれたのが、佐藤さん自身と弟の次郎さん。
「つまり、相続人は…」
私はホワイトボードに丸を描きながら、指で数えました。
- 前妻の長男・太郎さん
- 亡くなった長女の夫
- 長女の娘(代襲相続)
- 佐藤さん本人
- 弟の次郎さん
合計5名。
佐藤さんは目を見開いて、ボードを見つめました。
「こんなに…」
オフィスの蛍光灯が、彼女の疲れた表情を照らし出します。
第2章:立ちはだかる「三つの壁」
壁①:複雑すぎる相続人関係
まず直面したのは、戸籍の収集でした。
父の出生から死亡までの戸籍を遡る作業。前妻の長男との連絡先を探す作業。そして何より、亡くなった長女の夫と娘への連絡。
「会ったこともない人たちに、どう話せばいいんですか…」
佐藤さんの声は、不安で沈んでいました。役所の窓口で受け取った分厚い戸籍の束を、彼女は両手でしっかりと抱えていました。ざらりとした紙の感触が、現実の重さを物語っているようでした。
壁②:「私は介護したのに」という心の叫び
ある日、佐藤さんは涙ながらに打ち明けました。
「父の最期の3年間、毎日病院に通ったのは私です。おむつを替えて、食事を手伝って、夜中も電話があれば駆けつけて。弟も長男も、ほとんど来なかった」
彼女の手には、介護日誌がありました。日付と時間、父の様子、かかった費用。几帳面に記録された文字が、彼女の献身を静かに証明していました。
「法定相続分で平等に分けるなんて…不公平じゃないですか?」
その言葉には、怒りよりも、深い悲しみが滲んでいました。
しかし、法律は冷徹です。「寄与分」を主張するには、感情ではなく、客観的な証拠が必要なのです。
壁③:どこから手をつければいいのか
「相続登記って、何をどう進めればいいんですか?」
佐藤さんは、ネットで調べた情報をプリントアウトしてきました。しかし、そこには専門用語が並び、必要書類のリストは果てしなく長い。
- 戸籍謄本
- 印鑑証明書
- 遺産分割協議書
- 固定資産評価証明書
- 委任状…
「もう無理かもしれない」
彼女がそうつぶやいた時、私は言いました。
「一つずつ、乗り越えましょう。私も一緒に歩きます」
第3章:光が見えた瞬間
ステップ①:家族の「地図」を描く
まず私たちは、大きな模造紙に家系図を描きました。
色分けされた丸と線。誰が誰の子で、誰が相続人で、誰に何を説明すればいいのか。視覚化することで、頭の中の混乱が、少しずつ整理されていきました。
「あ…こうなってるんですね」
佐藤さんの表情が、わずかに明るくなりました。
ステップ②:証拠を集め、感情を「形」にする
次に、介護の記録を整理しました。
病院の領収書。タクシーの明細。介護用品の購入履歴。そして、日誌に書かれた父との会話。
「お父さん、今日は少し笑ってくれました」 「夜中に呼び出されて、2時間付き添いました」
その一つひとつが、彼女の愛情の証でした。
私たちは、それを冷静に金額に換算しました。交通費、物品費、そして時間。感情を数字に変える作業は、辛いものでしたが、必要なことでした。
ステップ③:誠意を持って、一人ひとりに向き合う
そして、最も難しい作業。相続人全員への説明です。
長男の太郎さんには電話で。長女の夫には手紙を添えて面談を。
「私が父を看取ったことを、理解してほしい。でも、皆さんの権利も尊重したい」
佐藤さんは、何度も手紙を書き直しました。便箋にペンを走らせるたび、インクの匂いが鼻をくすぐり、緊張で指先が震えました。
そして、返事が来ました。
「佐藤さんのご苦労、よくわかります。私たちも協力します」
長女の夫からの言葉でした。
佐藤さんは、その手紙を何度も読み返しました。目には涙が光っていました。
第4章:ついに迎えた「完了」の日
半年後。
法務局から郵送されてきた封筒を、佐藤さんは震える手で開けました。
「登記完了証」
父の名義だった不動産が、正式に相続人たちの共有名義になりました。
「…終わったんですね」
彼女は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出しました。肩の力が抜けていくのが、目に見えてわかりました。
その日の帰り道、佐藤さんは父の墓前に立ちました。石碑に手を当てると、冷たくて硬い感触が伝わってきます。
「お父さん、ちゃんとできたよ」
風が、優しく彼女の髪を撫でました。
まとめ:あなたがもし、同じ悩みを抱えているなら
相続は、書類の手続きだけではありません。
それは、家族の歴史と感情に向き合う旅です。
もしあなたが今、同じような状況にいるなら、こう伝えたい。
- 一人で抱え込まないでください
- 感情も、事実も、どちらも大切にしてください
- 最初の一歩は、専門家に相談すること
佐藤さんは、最後にこう言いました。
「あの時電話して、本当に良かった。一人じゃ、絶対に無理だった」
大切なのは、動き出す勇気です。
あなたの家族の歴史を、未来へつなぐために。
今日、その一歩を踏み出してみませんか?
※この記事は実際の相続相談を基に、プライバシーに配慮して再構成したものです。

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