突然の死と不動産売買契約——“相続”が契約を引き継ぐ現実

不動産の売買契約は、多くの人にとって
人生の大きな節目です。
その契約が、もしも突然の「死」によっ
て大きく揺らぐとしたら——
今回は、私が実際に体験した、買主様の
急逝によって変化を余儀なくされた不動
産取引の一幕をお話しします。
法律と感情、その狭間で揺れた現場のリ
アルを、ストーリー形式でお伝えしま
す。

あの日のことは、今でも忘れられない。

梅雨が明けたばかりの湿った午後、一本
の電話が鳴った。
画面には、1か月前に土地の売買契約を
交わした買主様の奥様の名前が表示され
ていた。

「まさか、また何か書類の件かな・・・」
そんな軽い気持ちで電話に出た。ところ
が、次の瞬間、心臓がズキンと音を立て
た。

「夫が・・・急に亡くなったんです。」

沈んだ声。言葉が出なかった。
耳の奥がジンジンする。
汗が一気に吹き出し、手が震えるのが
わかった。

すぐにご自宅にお伺いし、深くお悔やみ
を申し上げた。
リビングには、ご主人の写真と花が飾ら
れ、静かな空気が漂っていた。

「契約のことは、落ち着いてからで・・
・」
そう伝えるのがやっとだった。

法律と気持ちが交差するとき

翌日、売主様に連絡を入れた。
「買主様が急死されました。葬儀の後、
奥様と今後のことを相談してまいりま
す。」

しばらくして、売主様から電話があった。

「弁護士に相談しました。買主が亡くな
った場合、相続人が地位を引き継ぎま
すので、契約はそのままでお願いした
いとのことです。」

なるほど、理屈はわかる。
でも、感情は、いつも理屈とは違う方向
を向く。

奥様の決断

葬儀が終わって1週間ほど経ったある
日、奥様から連絡があった。
「一度お会いしてお話ししたいんで
す。」

お兄様も同席された。

「主人が亡くなった今、この契約は進め
たくありません。正直、解約させてく
ださい・・・。」

冷房の効いた室内でも、背中に汗が伝う。
ゆっくりと、でも確実に説明した。

「この場合、ご主人の地位を法定相続人
である奥様が引き継ぐことになります。
解約をご希望でしたら、手付解除期日内
ですので、支払い済みの手付金を放棄す
ることで解約は可能です。」

「・・・できれば、手付金を返していた
 だけないでしょうか。」

その一言に、私は再び売主様に頭を下げ
に行った。

それぞれの正義

売主様は、静かにこう言った。

「亡くなられたのはお気の毒ですが、
 契約は契約です。こちらに落ち度は
 ありませんので、手付解除でお願い
 したいです。」

事前に弁護士と相談されていた様子だ
った。
無理強いはできない。法律上の正当性
は、売主側にある。

再び買主奥様にその旨を伝えると、お兄
様は静かにこう言った。

「こちらも弁護士に相談させていただき
 ます。少し時間をください。」

数日後の電話

「やっぱり…手付解除で解約させてくだ
さい。」

奥様の声は、泣いてはいなかったが、ど
こか諦めと疲労が混じっていた。

電話を切ったあと、私はしばらくデスク
に座ったまま動けなかった。
契約が成立することも、解約になること
もある。
でも、“死”によって割り込まれた契約
は、言葉では表現できない重さがあっ
た。

この経験から学んだこと

以前の私は、「契約は法に従うべき」と
割り切っていた。
しかし、この一件で痛感したのは、
「法律」と「心情」は必ずしも一致
しないということ。

もちろん、契約を守ることは大切。
でも、その裏には人生があり、家族がい
て、想いがある。
そのバランスをどう取るか。それこそ
が、プロとしての真価が問われる場面
なのだと。

この出来事を通じて学んだのは、「正し
さ」と「やさしさ」の両立がいかに難し
く、しかし必要かということでした。
不動産の現場では、法的知識だけでは解
決できないことがある。
人と人との間に立つ以上、気持ちに寄り
添う姿勢を持ち続けたい——そう強く感
じた出来事でした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました