弟の手を、もう一度引いてあげたい──孤独死と向き合った姉の、最後の愛情

「玄関に立った瞬間、かすかに鼻をつく
 異臭に背筋が凍りました──。」

都内の夏も終わりに近づいた、
ある蒸し暑い日の午後。
A子さん(60代)は、数日前から
連絡の取れない弟の安否を確かめる
ため、ひとりで彼の自宅を訪れました。

電話は、何度かけても「おかけになった
電話番号は現在使われておりません」。
こんな時、胸騒ぎというのは本当にある
のだとA子さんは後から語っています。

ドアをノックしても、インターホンを
押しても反応はなく、ただその場に
立ち尽くす中、ほんのわずかに窓の隙間
から漂ってくる異臭に、A子さんは
「これは普通ではない」と感じたと
いいます。

「まさか、こんな形で弟に再会する
 なんて・・・」

警察を呼び、立会いのもと鍵を開けて
中に入った瞬間──
そこには白骨化した弟さんの遺体が
横たわっていました。

あまりの光景に、足がすくんで
動けなかったA子さん。
「人がこんなふうに亡くなるなんて、
 信じたくありませんでした」と、
嗚咽まじりに語る声が今も忘れられ
ません。

弟さんは、奥様と離婚訴訟の真っ最中
で、すでに別居中。
お子さんもおらず、両親もすでに他界
していたため、相続人は
「別居中の奥様」と「姉であるA子さん」
の二人だけという状況でした。

「せめて・・・遺品整理と家の売却
 くらい、きちんと終えてあげたい」

A子さんは、弟さんの亡骸と向き合った
あの日から、「自分にできることを
きちんとやろう」と決めました。
家を売って、相続の手続きをして、
最低限のけじめをつけたい
——その思いで、すぐに奥様に連絡を
取りました。

けれど、電話にも出ない、手紙にも
返信がない。

「弟が亡くなったことを伝えても、
 一切反応がなかったんです。
 私、何度も封筒を見直しました。
 ”本当に送ったのか”と自分を
 疑うくらい。」

弁護士の力を借りる決断、そして・・・

事態は一向に進まず、A子さんは
とうとう弁護士に依頼して
「遺産分割調停」の申し立てを
行いました。

しかし──

奥様は、調停にも現れず、連絡もなし。
家庭裁判所の調停が不成立となり、
自動的に「審判」に移行しましたが、
それでも奥様は姿を現しませんでした。

「結局、私が一人で手続きを進めて
 いくしかなかったんです。
 相続の話って、”お金のこと”って
 思われがちですけど、私にとっては
 ”弟を弔うための最後の責任”だった
 んですよ。」

調停の待合室で、A子さんは何度も
手のひらを握りしめました。
冷たい椅子に座りながら、
弟が子供の頃、転んで泣いていた時に
手を引いて起こしてあげたことを
思い出していました。

「あの時も、今も、私がやらなきゃ
 いけないことは同じだったんです。
 弟の手を、もう一度引いてあげる
 こと。」

そして今──ある春の日

最終的に、裁判所による審判によって
遺産の分割が決定し、A子さんは
ようやく弟の家を売却する手続きに
着手することができました。

売却が完了した日、A子さんは
一人、弟の家の前に立ちました。

もう誰も住まないこの家。
春の風が、穏やかに頬を撫でていきます。

遺品整理の際、A子さんは
弟の机の引き出しの奥から、
一枚の古い写真を見つけました。

それは、二人がまだ小学生だった頃、
近所の公園で撮った写真。
弟は満面の笑みで、A子さんの肩に
手を回していました。

「こんな笑顔、最後に見たのは
 いつだったかな・・・」

A子さんは、その写真を胸に抱きしめ、
静かに涙を流しました。

でも、それは悲しみだけの涙では
ありませんでした。

「ありがとう。最後まで、
 お姉ちゃんでいさせてくれて。」

家の鍵を不動産会社に返す時、
A子さんの手は震えていませんでした。
やるべきことを、すべてやり遂げた。
その確信が、彼女の心を支えていました。

その後のA子さん

今、A子さんは月命日になると、
あの写真を仏壇に飾り、
弟の好きだった缶コーヒーを
お供えするようになりました。

「相続の手続きは、本当に大変でした。
 でも、あの時間があったからこそ、
 私は弟ときちんと向き合えたんです。
 
 もし誰かに丸投げしていたら、
 きっと後悔していたと思います。
 
 大変だったけど・・・
 最後まで姉として、
 弟のそばにいられてよかった。」

A子さんの言葉には、
深い安堵と、そして誇りが
滲んでいました。

ストーリーの教訓:相続は”突然”やってくる

この話は特別なケースではありません。
誰にでも起こり得る「突然の死」と
「複雑な人間関係」。
それが絡み合った時、相続の手続きは
一気に”重荷”になります。

A子さんのように、「ただきちんと
したいだけなのに、相手と連絡すら
取れない」というケースは、実際に
少なくありません。

でも──

困難な道のりの先には、
「大切な人への最後の責任を果たせた」
という、何にも代えがたい安堵と誇りが
待っています。

🌱相続の第一歩に迷ったら・・・

何から始めればいいか分からないとき、
ひとりで抱え込まずに、信頼できる
専門家に相談してください。

相続は、”争族”ではなく、
“想続”へ。

大切な人への思いを、形にする
手続きです。

そしてそれは、残された人が
「きちんと見送れた」と思える、
最後の贈り物でもあるのです。

A子さんから、同じような状況にある方へのメッセージ:

「辛い時は、一人で抱え込まないで。
 でも、誰かに全部任せてしまうのも
 違うと思うんです。
 
 大変でも、自分の手で
 最後まで見届けることが、
 きっと後々の自分を救ってくれます。
 
 それが、家族への最後の愛情だと
 私は信じています。」

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